中村ユス 仲小路家(山口町野田のちの毛利藩主別邸)内において裁縫私塾を開設。
校舎を大殿小路(今の駅通り)に新築して中村裁縫伝習所と称する。
伝習所を町内御局小路(竜福寺付近)に移して中村裁縫女学校と改称。
校舎を今道(現在の場所)に建て私立学校令により私立中村裁縫女学校と改称。
高等女学校令による私立中村実科高等女学校を設置。(設置者中村ユス)
修業年限三か年。(県下私立の実科高等女学校の最初のもの)
組織を変更して中村高等女学校と改称。修業年限、本科四か年、実科二か年、補習科一か年。
昭和20年8月14日、学徒動員33名が光海軍工廠で戦死。
昭和22年1月、財団法人中村高等学女学校認可。財団法人中村高等女学校と改称。
翌23年4月、学制改革により中村女子高等学校同併設中学校と改称。高等学校に普通科、被服科を設置。
学校法人中村女子高等学校認可。
鉄筋二階建記念会館竣工。
鉄骨造講堂兼体育館竣工。
純真の碑(戦没動員学徒慰霊碑)竣工。
創立百周年記念式典及び各竣工祝賀式諸侯。(明治大正以来の旧校舎すべて消滅)
6月、学校法人山口中村学園と名称を変更。
創立150周年式典挙行。